きまぶろ

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モラルの起源(亀田達也)

 人間の行動の合理性は3つの時間軸で考えられる。進化時間における合理性、歴史時間、文化時間における合理性、生活時間、緊急時間における合理性の3つだ。本書では進化時間と文化時間における合理性について述べている。

 人間の社会行動はとても複雑で、互いに矛盾するようにも見えるが、全体としての行動は「生き残りのためのシステム」として理解できる。生物種としての人にとっては、自然環境への適応よりも、群れ生活への適応の方が重要である。他者を出し抜こうとしたり、出し抜かれないように見張ったと駆け引きややり取りもし、よそ者に対しては一致団結して排除するなど、群れ社会では高度な情報処理能力がいる。大脳新皮質の大きさは「戦術的だまし」がみられる頻度と相関があり、集団の中で暮らす生き方こそが、そこでの複雑さにどう適応するかという重大な問題を個体に絶えず突きつけている。

 「人間の最大の見方は人間であるが、最大の敵も人間である」というのは、人の生存形質の本質を表している。

 株式市場などで、自分の持つ情報よりも他人の行動を情報源として優先させてしまうことがあり、それが次々と広まり連鎖現象を起こすことがある。これは、「情報カスケード」と呼ばれるが、社会性昆虫であるハチの「集合知」は情報カスケードによるエラーを防ぐ仕組みがある。ハチは行動の同調もあるが、人とは違い評価の独立性が保たれている。つまり、周囲の空気を読まないのである。人の場合は評価の際も同調が見られ、集合知を生み出しにくい。

 ハチの淘汰圧は群れにかかり、人の淘汰圧は個体にかかる。血縁社会のハチと違い、人は群れの中でもある程度独立し、群れにとってプラスとなる行動でも、自分にとって不利になることは行わない。ハチは群れのためなら、自分にとって不利なことも行う。「裸の王様」のストーリーのように、社会的に無知でばかげた状況になるとわかっていても、個人的には沈黙を続ける行為は合理的である。人は他社の行動や状況に鋭敏に反応し、共感や利他などのプラスの反応、嫉妬、差別、偏見と言ったマイナスの感情も示す。

 チスイコウモリはエサにありつけなかった個体に血を分け与える。これは「互恵的利他」で、過去に誰かに血を分けた個体に対し、特に血を分け与えるようだ。

 誰もが自由に使える資源に対し、ただ乗りをして出し抜く個体が現れたら、その個体の利益と社会の利益は一致しない。これが社会的ジレンマの構造である。

 「規範」はなぜ存在するのか。これは、規範の存在が社会の存続にとって役立っているからではない。集団をひとつのまとまりや心を持つ実体として捉えてしまう誤りである。人の集団は一枚岩ではなく、主体とはなりえない。決めるのは社会ではなく個人である。出し抜く個体に罰を与える案もあるが、罰を与える行為そのものにもコストがかかり、経済的合理性から、誰もそのコストを引き受けないなら、罰は存在しないのと同じである。一方で、誰かに見られているかもしれないという「他人の目」があると、規範を守る人が増える。これは単純に目の写真や、目のステッカーだけでも効果がある。

 他人を罰しようとするのは、怒りや嫌悪感などの感情による。不公平な状況を見ると、強い情動反応が起こり、不正を罰すると「快」を感じるのである。

 間接互恵(indirect reciporcity)は二者に閉じない助け合いで、見ず知らずの人を助けることである。これはヒト以外の動物ではほとんど見られない。評判(reputation)の働きによる。

 ヒトは「今ここにいない誰か」の話をすることで、絆や連帯感を強める。これはサルの群れにおける毛づくろいと同じ働きがある。ゴシップなどの評判メカニズムは、相手とどう付き合うべきかを決める「対人マーケット」において重要な選別機能を持っている。SNSを通じて特に重要な選別の機能となっている。

 間接互恵性で見られるような、自発的な親切行動や援助行為は、言語を介した評判メカニズムを基盤として、ヒトに定着した。

 固定した小集団の時代だと、情に流される人情家は長期的には社会に愛される。近代化、産業化した社会では市場メカニズムの拡大を通して、選ばれるためには優秀な人、能力が高い人たらんとし、競争はますます激化する。これは歴史・文化時間の適応とも言えるが、進化時間仕様のヒトの心にはストレスになる。計算をしない相手と付き合いたいという、感情に駆動されたデマンドがあり、人情家のことを見聞きしてホッとしたりもする。

 思いやりだけでなく、身体模倣や情動伝染も共感の一つである。表情模倣(facial mimicry)は基礎的な感情表出全般にたいして0.5秒ほどで起こり、反射に近い。赤ちゃんでも起こるし、霊長類にも類似の現象があり、進化的に組み込まれた生得的反応と言える。表情だけでなく、動作、姿勢、話すスピード、声の大きさもうつる。これは脳の神経細胞の一部であるミラーニューロンが関係している。サルが餌を拾うときと、ヒトがエサを拾うのをサルが見るときは、脳内の同じ部分が活動する。音の共鳴現象のようである。情動伝染は群居性動物全般に見られる。

 痛みの伝染は仲間や好意の持てる相手に対して起こるが、対人場面で不公正に振る舞う者、好感の持てない相手には起こりにくい。マウスでもヒトでも、伝染の起きる自然な境界・範囲は仲間・血縁者である。

 オキシトシン(oxytocin)は相手との絆作りに寄与している。分娩時の子宮収縮や乳汁分泌を促すホルモンとして知られるが、男性の養育行動も助長している。神経伝達物質として相手への信頼行動を促進することがわかっている。これは種を超え、ヒトからイヌ、イヌからヒトへも効果がある。互いに見つめ合うとオキシトシンが分泌される。仲間に対する利他行動も促進させる。

 情動レベルで敏感に共振する人は、他者の緊急場面を見ると自分も苦しくなり、その場から身を引く傾向がある。子供が悩んでいるときにも苦悩を引き受けてしまい、適切な援助やアドバイスができなくなりやすい。逆に情動的でない共感が持てる人は結婚詐欺師に向いている。相手の幸福や利益を重んじる情動に駆られることなく相手の心的状態に寄り添えるのだ。

 「情動的共感」は自他融合的で、自他の壁をなくし、内集団にのみ向く。「詐欺師の共感」は自他分離的で、自他の間に壁を設けており、外集団へも向く。

 誤信念課題(false beliefe task)というものがある。「2人の子、サリーとアンが一緒に部屋で遊んでいる。サリーは遊んでいた人形を箱の中に入れて外に出たが、留守の間に、アンが人形をベッドの下に移した。さて、部屋に戻ってきたサリーは、人形遊びを再開するために最初はどこを探すでしょうか」という問題だ。3歳くらいまでの子は「ベッドの下」と答えがちである。観察者として事態の全貌を知っている自分の認識と、サリーの持っている知識を切り離して考える必要がある。他者が自分とは違う信念を持つ場合外あることを理解し、異なる信念に基づく相手の行動を正しく予測するには、大脳新皮質の働きがいる。相手の視点を取る(perspective taking)ときに働く脳回路は認知的共感を構成している。

 他者の身体的痛みに対しては情動的に共感するが、他者の社会的な痛みには認知的な共感のプロセスが起こる。

 自他分離的な生理パターンを示す人ほど、日常生活でも他者への援助を行いやすい(クールな利他性)。これは緊急時の対応を担う人が備えるべき条件である。

 正義をめぐる価値判断は恣意的で主観的である。また、正義の名を借りた暴力も存在する。

 最後通告ゲーム(ultimatum game)では、どの産業社会で実験しても、平等分配が最も観察される。これは、市場経済化した社会ほど、フェアな取引が文化規範となっていることを表している。しかし、誰に対しても平等というのは、はたして唯一の正義だろうか。身内や血縁者を重んじるのももう一つの正義である。

 倫理が一つだけ(武士道や商人道など)であれば、協力的な社会が実現できるが、2つの倫理が拮抗すると社会の協力が崩れる。

 モラルとは「私vs私たち」という問題をうまく解決するやりかたである。モラルには完全共産制、完全私有地性、社会民主性などいろいろなモデルがあるが、共通基盤が必要である。