きまぶろ

本とアニメと気ままな生活のブログ

考える練習帳(細谷功)

 人類とAIが共存していくためにも、AIにはない人間の「考える力」を養っていきたい。企業の例を挙げているのが多いが、どんな場面でも考えることを試していこう。練習問題つき。

 

 考えることで、世界が違って見え、先が読めるようになる。相手の視点で考えてみることでなぜ相手がそう言っているのか、背景を考えられる。不満を感じても愚痴で終わるのではなく、前向きにアイディアを出して、解決に向かいたい。物理的な制約があっても、頭の中では自由に考えられるし、AIとも共存できる。仕事や勉強ができるようになり、人生が楽しくなる。

 

 常識や既成概念に捉われている人は、捉われていることに気づいていない。自分が成功したやり方はすべての人にうまくいくはずだという思い込みがある。当人や関係者にとっては正しい事でも、状況が変われば間違いになる。一度多数に正しいと思われた常識、子どものときに身に付けた価値観、一度覚えた仕事の価値観はなかなか変えられない。まずは自分自身の価値観を疑ってみる。認知バイアスは誰にでもあり、自分も心理的に偏っていることに気づきたい。

 知識の価値観を捨てよう。知識偏重は考える力を阻害する。

 「今までそうやってきたから」「ほかの人たちもそうしているから」「規則で決まっているから」「それは常識だから」というのは、すべて自分の頭で考えていない思考停止状態である。そう思っていても、実は変えられるものがほとんどである。なぜそうなるかを自分の言葉で説明できないときの逃げ道になっているだけだ。常識などは減退された一部の場所、時間、状況でのみ通用するものでしかない。

 世の常識を破る人は常に素人である。常識打破を阻むのは知識と経験だからである。専門家のバイアス、現場のバイアスもこれの拍車をかける。「1+1=2」「知識は『ちしき』と読む」というのも正しくはない。二進法なら2にならないし、人名や地名では異なる読み方になるし、もちろん中国語であればさらに違う読み方ともなる。絶対的な正解など存在せず、場合と状況などの前提による。

 世の中には正解がない物の方が圧倒的に多いが、正解が存在し誰にでもわかる物の方が人気がある。問題提起や考える指針の提示だけで、あとは読者に考えさせる本は売れない。世の中は正解を求める人であふれている。

 解釈は人それぞれで、どうするかは自分で決めろというのが「意見」で、解釈も含めどうすべきかまで踏み込んだ助言をするのが「アドバイス」である。意見は聞いてもアドバイスは疑うべきである。アドバイスをする人は思考停止である。誰にでも当てはまる正解を持っていると思い込んでいるからだ。

 正解がないということは、不正解もないということで、選択を恐れる必要はない。

 専門家は周囲の期待が高いために、失敗が許されない。素人は失敗し放題なのに、専門家はうかつなことができない。専門家は80点を90点にするようなもので、素人は20点を30点にするようなもの。方向性が全く異なる。

 考えることの使用上の注意もある。考える人は圧倒的少数派である。考えている人から考えていない人は良く見えるが、考えていない人から考えている人はそうは見えず、「ただのおかしい人」にしか見えず孤独である。他人に理解してもらいたいなら、考えない人を演じればよい。また、他人に見えないものが見えることで、悩みが増える。

 変革期なのか安定期なのか、川上なのか川下なのか、オペレーションなのかイノヴェーションなのかで使い分けよう。