正義の教室(飲茶)
正義とは、ヒーローvs悪人のように誰にとっても明らかで単純明快なものではない。人々の信じる正義はおもに3つに分けられる。平等の正義(功利主義)、自由の正義(自由主義)、宗教の正義(直観主義)だ。功利主義の幼馴染、自由主義の先輩、直観主義の副会長という3人の女子とともにマサヨシは正義、善について倫理の教諭の手ほどきを受ける。
3種類の正義の問題点を明らかにし、ソクラテスに始まりポスト構造主義に至る哲学の歴史も振り返り、ラブコメかとも思えるマサヨシたちの掛け合いの末に驚きの展開が待っている。
昨今の監視社会の息苦しさから逃れる方法も、本当の正義について考えることからわかっていく。
マイノリティである自身に疎外感を感じ、世界と自分についての思索に耽がちであることから哲学の道に入る人が多いと感じるのは気のせいだろうか。
この世界は誰が創造したのか シミュレーション仮説入門(冨島佑允)
私たちが普段感じていること、見聞きしていることはすべて脳が作りだした幻である。たとえば色はこの世には存在しない。あるのは波長のちがう光(電磁波)だけで、脳がそれを「色」として解釈しているに過ぎない。人間が色を感じるのは、食べ物が安全か、食べられる時期か、家族の体調は大丈夫かなどを色で知り、生物として生存に有利だったから。私たちは自分自身の脳が作りだした仮想現実の世界に住んでいる。そしてこのままテクノロジーが進んでいけば、たとえばゲームも現実とは区別がつかなくなる。
確率的に計算をすれば、地球上に暮らす我々は99.9%以上の確率でシミュレーション世界の中で生きていることになる。いや、事実上ほぼ100%と言ってもよい。シミュレーション世界を生み出せる技術レベルに達した文明が、未来あるいは別の宇宙に1つでも存在すれば、シミュレーション世界を構築しない理由が見当たらない。それも1つだけではなく無数のシミュレーション世界が作られ、我々はそのいずれか1つの世界の十二である。
この世界がシミュレーション世界である事実も、そうでない事実も発見されてはいないが、シミュレーション世界である傍証は数多く確認できる。まずは自然界の法則があまりにも上手くできすぎている。これはゴルディロックス・エニグマと呼ばれるものだ。また、自然界が連続に見えるのは人間の錯覚で、時間であれ距離であれ連続していない。これ以上に短くできない長さを「プランク長」と呼び、すべての素粒子、物質はその整数倍の長さを持つと思われる。時間も同様だ。bitの世界、つまりコンピュータで計算しやすい時空に我々は暮らしている。また、アインシュタインが言ったように「この世界でもっとも理解しがたいことは、この世界が理解可能(計算可能)である」ことだ。光速が秒速30万kmに制限されていることは様々な不便が伴うが、光速度のその制限もシミュレーション世界ではプラスに働くことがある。
シミュレーションには主に2種類あり、何らかの具体的な目的をもって行われるシミュレーションと、シミュレーション世界を観察あるいはそこからの情報をダウンロードすることで叡智を増やしていく「賢者型シミュレーション」のタイプがある。もし賢者型のシミュレーションを構築すれば、そこから無限の叡智を永遠に引き出せる。つまり目的別シミュレーションと異なり、シミュレーション世界を終わらせる必要はないことになる。さらに、その世界に住むすべての人、動物、物質が叡智を引き出すという同じ目的のもとにあると考えると世界に対する感じ方や生きる心構えが変わってくるだろう。
マンガですっきりわかる 脳を傷つけない子育て(友田明美)
心理的虐待マルトリートメントで子どもの脳が変質してしまうことを「子どもの脳を傷つける大人たち」で知った。今回は脳を傷つけないようにするにはどうするか、傷つけてしまったかもしれないがどうしたらよいかという点について、マンガ、イラストを交えて場面別に37の対応例を解説している。文字だけでは読みにくいと感じる親たちも手軽に読める。子育てにかかわるすべての人に共有してもらいたい。
姑の遺品整理は、迷惑です(垣谷美雨)
マンションで一人暮らしだった姑の遺品整理を一人で担うことになるも、想定外の遺品整理の困難で途方に暮れる。孤立無援と思われたが少しずつ周囲の助けを借りられるようになっていく。ミステリー要素もあり、楽しみながら読める。まずは自分から身軽にしなければと居ても立ってもいられなくなる。