きまぶろ

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子どもの性同一性障害に向き合う(西野明樹)

 自身も性同一性障害である臨床心理士による、性同一性障害の人と向き合うための本。

 

 よく知らない他者の性別を認識するときに人は、耳や目から相手の情報を取り入れ、それをもとに性別を無意識に判別している。実際の性同一性障害は、男性の性質と女性の性質のどちらの要素も持ち合わせていて、男性か女性の二元論で区別するのは妥当ではない。男性でないから女性だ、女性でないから男性だと言うのは誤っている。特徴的な困難や必要な対応も一定ではなく、ある程度の曖昧さを残した理解のほうがよい。

 

 

 性同一性障害の当事者が訴える「死への願望」は「肉体から解放されて本当の自分になりたい」という欲求の表れであり、抑鬱的な気持ちから死にたいと願う気持ちとは全く異なる。「あなたがいなくなったら寂しい」などの対応はあまり意味がなく、制服の下に穿けるズボンを一緒に探したり、学校に対応をお願いしたりする方が望ましいし、解決への道のりに繋がる。

 女の子だから「女らしく」、男の子だから「男の子らしく」というのは大人のエゴである。「らしさ」というのは先入観であり、天真爛漫に日々を過ごしている子どもに当てはめる必要はない。子どもが選ぶ色で一喜一憂してしまうのはもったいない。何色を選んでも、一緒に「いいね!」と楽しむ。頭の中にある先入観や不安に思いを巡らせるのではなく、今の子どもの表情や姿を見守ろう。「らしさ」は大人社会が決めたことであり、大人社会に入るまでに本人が理解すればよい。親自身が真っ白な自由な目線に立ち、子どものすきなもの・こと、興味のあるもの・ことを一緒に楽しんだり、経験していったりすることで、将来、子どもと何でも話せる関係性を築いていくことこそ大事。いつか子どもが本気で悩むようになったとい、隠されるより話してもらいたい。

 対応が必要なのは、トイレの使用のためらい、いじめなど子どもが具体的な困難を抱えているときだけでよい。

 

 カミングアウトには本人の心の準備が必要で、強要してはいけない。最初はその子どもが一番はやしやすい人が話を聞く。いちど誰かに話をして、それがうまくいけば、徐々に他の人にも話せる人もいる。大切なのは子どもが安心して心を開けるか。

 ゆくゆく性同一性障害と診断されるかを確定的に断言できる人はいない。性同一性障害の当事者であるという前提で対応するのではなく、そのときに子どもが直面している困難に対して、一つ一つ解決策や代替案を考えていく。自分の悩みや困難が性別違和感によるものと明確に気づいていない場合もあり、大人が先回りしないようにする。

 

 

・幼少期

 秘密を持ったり、相手を気遣って自分の願望を隠したりするの能力が十分に発達していない。やりたいことをストレートに言葉にし、「ダメ」と言われることには慣れていない。

 性別違和のように思えても、単に身近にいる大好きな人と同じになりたいだけかもしれない。身体の性別とは反対の服装をしたがる場合でも、この時期の子どはまさか「ダメ」と言われるとは思っていない。「そうなんだね」と肯定的に反応し、新しいことを挑戦する気持ちを大切にし、そのうえで現実的な対応を取る。

 園児が性別とは逆の制服を着られるようにしたとしても、子どもどうしの悪意のない質問は大人がコントロールできず、子どもを傷つけたり、友だちとの関係の不調につながったりする。

 子供たちが笑顔になれるのであれば、これまでの慣例にとらわれず、子どもたちの「やりたい!」を尊重したい。

・小1~2頃

 小中学生の時期のいじめやからかいが子どもの心身に与える影響は甚大である。いじめやからかいが全くなくなるのがベストかもしれないが、理想を言うだけでは子どもは救えない。本人の服装や言動がからかいの要因にもなりやすいことを念頭に、目を配る大人がふえるよう、学校では組織として見守りをお願いする。

・小3~4頃

 性別という概念を理解したり、男同士、女同士で小集団を作るようになる。性別違和感を持つ子どもは、男女どちらのグループにとも付き合えず孤立する。性同一性障害だからといって、身体的性別と反対の性別の子とうまくいくわけではない。

 この頃から第二次性徴期が始まり、性別違和感を持ち始める子が多い。集団検診など人に肌を見られるときや、林間学校など集団入浴や宿泊を伴う行事があるときに見られる。

 性別違和感を抱いているのは自分だけで、周囲にはいないことも認識する。

 自分の居場所、役割を実感できる場所を増やしてあげる。「男同士」「男女ペア」という言葉を減らす。

・小5~6頃

 子どもは親に秘密を持つようになり、本人が悩みを抱え込んでしまうこともある。本人が心を開かないのにカミングアウトを強要してはいけない。言ってしまったらみんなに嫌われる、おかしいと思われると悩み、口に出さないこともある。「あのとき、あの人になら話せるかもしれない」と思ってもらえるような土壌づくりをする。本人が気兼ねなく好きなものを好きと言える相手、ありのままの自分で時間を過ごせる相手はかけがえのない存在である。

 性別の多様なありかたとその尊厳について学ぶ機会を作る。

・中学

 大人が勝手に善し悪しを判断せず、本人にとってより安心につながることを励ましてあげる。

 

 

・事例から

 女子制服を嫌がっていた子が、小学校の卒業式で自らスカートを穿いた。

 スカート姿を見たいと思っている親への気遣いかもしれないし、もしかすると自分もみんなのように普通にやっていけるかもしれないという期待を込めた賭けかもしれない。中学生にもなるとさまざまなことを考え、自分なりに試行錯誤していき、性別違和感をどうにか減らそうともする。こういった一つの言動を取り上げて、性別違和感があるかどうかを判断したり疑ったりするのではなく、本人なりの試行錯誤と受け止めてあげたい。惑い戸惑う中で大人だってときには辻褄の合わないことをする。言動の背景やそこに横たわっている本人の苦しみに関心を寄せる。

 

 大人は過敏に反応しないようにする。子どもが明らかに落ち込んでいたり、苦しんでいたりしないのなら、大事にしない。小学校中学年以降であれば、周囲に知られないように隠れて悩んでいるかもしれない。急に核心に触れたら本人も戸惑うし、焦って否定するかもしれない。いちど否定したり取り繕ってしまうと、本当のことを話すハードルが上がってしまう。「どうしたい?」と聞いても、本人はまだどういう可能性があるのか知らない。ロールモデルが見当たらず、可能性がみえないまま絶望する子もいる。大人は手出し、口出しをせず、現実をそのまま見つめるようなかかわりをする。本人は自分なりの答えや、未来に続く道が見つけられないから悩んでいる。悩みや葛藤の表現方法は一人ひとり異なる。

 

 性別違和感を抱く人とそうでない人との交流は一種の異文化コミュニケーションである。互いを肯定的に見つめ合い、知り合い、伝え、話し合うことが大切。異なる考え方や事情を持つ人とのコミュニケーションができるようになるまでの試行錯誤期間と思う。理解してあげたいのにうまくできない、頭の中でうまく整理できなくとも、まずは静かに寄り添い見守る。本人からいろいろ聞き出して、手を差し伸べたくなっても、未来への投資と思い何とか忍耐し、「待ちの時期」を凌ぎたい。

 

 性自認が身体的性別と逆とは限らない。

 

 家族全員が本人の性自認を尊重し、それに沿ったより良い未来を応援するのが理想だが、まずは家族の中で1人でも本人に寄り添ってくれる理解者がほしい。態度を硬化させる家族がいても、一時的かもしれないし、理解には時間がかかるものだ。

 

・話しやすい(カミングアウトさせやすい)下地作り

 男らしい、女らしいなど性別で判断したり評価したりする言葉を使わない。セクシャルマイノリティに肯定的な意見を本人にも聞こえるようにする。

 大切なのは本人が自己肯定感を持てるようにすること。そして、周囲の大人が信頼できる相談相手になりうることをしってもらうこと。