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旧約聖書(100分de名著)加藤隆

  古代ユダヤ民族の歴史は大きく分けて3つの時代がある。1つ目は紀元前13世紀の出エジプト。エジプトにいた非エジプト系の人々がモーセに率いられて脱出し、半世紀の間、荒野を放浪し、ヤーヴェを神とするユダヤ民族が成立。2つ目は紀元前12世紀から紀元6世紀前半まで、パレスチナの地での独立国の時代。12部族連合で始まり、イスラエル統一王朝が成立。南北に分裂したのち、北のイスラエル王国アッシリアに滅ぼされ、その後、南王国もアッシリアを倒したバビロニアに滅ぼされる。3つ目は自分たちの国を失った時代。バビロニア、アケメネス朝ペルシア、アレキサンダー大王以降のギリシア勢力、ローマと次々と支配されていく。

 旧約聖書ユダヤ民族のために成立した文書集。民族主義的傾向が強いが、全人類、全世界がテーマとなる面もあり、ユダヤ民族の観点からの普遍主義的な見方もある。ただし、外部からの脅威や支配が少ない現代社会とは状況が違う。

 「役に立ちそう」なところばかりに接することで、聖書全体に接していると考えてしまいがち。全体を理解するように読む努力をすることで、聖書の意義が見えてくる。紀元前3世紀から一世紀の修行者エッセネ派によって書かれた800巻以上の巻物が発見され、「死海文書」と呼ばれる。死海文書の発見で聖書研究が大きく前進した。

 神や神々のことについて日本人は、大事なことだと考えている。人間の側が判断したり選択したりすること「畏れ多い」と考えは控えてきた。神や神々のことについては「祭り上げる」という態度で臨ん無のが、日本人の基本的な姿勢だった。このため、様々な紙がそれなりにあり、しかもつながりは堅固ではない。神や神々の領域のことについて、日本人は「選ばない」という選択をしている。ユダヤ教も「自分たちは選ぶことはできない」とう部分は日本人とは同じだが、多神教ではなく「本格的な一神教」になった。

 聖書には旧約聖書新約聖書がある。ユダヤ教旧約聖書がまず存在し、のちにユダヤ教からキリスト教が派生し、展開するうちに生じたのが新約聖書ユダヤ教にとっての聖書は旧約聖書のみ。キリスト教にとっての聖書は新約聖書旧約聖書の2つ。

 聖書は一貫性のある書物ではないが、古代のユダヤ民族の歴史が語られているし、さまざまな時代の預言者たちの活動、彼らの「神の言葉」、時代小説、神と人との関係、儀式の言葉、詩、ことわざ集なども含まれている。

 旧約聖書の中の歴史はおおまかに、「申命記的歴史」と「歴代誌的歴史」に分けられる。申命記的歴史は、出エジプト記レビ記民数記申命記ヨシュア記、土師記、サムエル記、列王記で、まずは出来事が語られ、それについての善悪の判断がある。歴代誌的歴史は歴代誌、エズラ記、ネヘミヤ記で、理想化された歴史が語られている。

 ユダヤ教の聖書は「律法」とされている。ヘブライ語では「トーラー」、英語では「Law」と呼ぶ。トーラーは法律や掟が物語の形になっている。無視したり否定したりではなく、物語が「法律」「掟」とされていることの意味を考えて対処するということになる。

 旧約聖書全39書の構成は、第一部がトーラー(Torah:律法)でモーセ5書。第二部がネビイーム(Neviim:預言者)で前編6書、後編15書(イザヤ、エレミア、エゼキエルの3大予言書および12小預言書)から成る。第3部はケトゥビーム(Ketubim:諸書)で13書から成る。頭文字を順にとって、TNK(タナクまたはタナハ)とも呼ばれる。

 ユダヤ教ではヘブライ語で書かれた39書が「ユダヤ教の聖書」であるが、キリスト教側では、それ以前からギリシャ語で書かれていた文書も付属し、ギリシャ語に訳された「七十人訳聖書」を旧約聖書と呼んでいる。

 創世記の冒頭には2つの創造物語が書かれている。1つめは言葉の力をモチーフにした六日間の創造物語。植物が三日目、人間は六日目に創造され、七日目に神が休む。もう一つはエデンの物語で、最初に植物がないことを確認してから、アダムとイヴの物語になる。この2つの矛盾した物語が連続して書かれている。はっきりと書かれていることを無視して辻褄を合わせるような解釈、つまり調和的解釈では、テキストを読んだことにはならない。聖書は権威のあるもので、両方とも真実であることを前提とすると、このような問題について、確定的な真実はないとする証言者の立場の表れと考えられる。つまり、「聖書に書かれていることはすべて真実だ」としった単純な立場を否定するべきだということが聖書の冒頭に書かれていることになる。

 世界と全人類に関わる物語としては、六日間の天地創造エデンの園物語の他に、カインとアベルの物語、ノアの洪水の物語、バベルの塔の物語がある。このうちノアの洪水の物語は紀元前30004年紀前半に実在したウルク王の「ギルガメシュ物語」からの影響がある。

 6日間の天地創造では、神が「無」から世界を作ったのではなく、最初にカオス・混沌があった。1日目は光と闇、昼と夜が造られた。2日目に水を上下に分け、上が空・天となり、3日目に海と大地と植物が造られた。4日目に太陽、月、星、5日目に水中の生き物と鳥、6日目に地上の生き物と人が造られた。人は神の似姿で、すべての生き物を支配する。7日目に神は唐突に休む。この時点では神と人との関係は良好だった。

 エデンの園の物語では、「善悪の知識の木の実だけは食べてはいけない」と言われたのに、蛇にそそのかされ、アダムとエヴァは実を食べてしまう。男には労働の苦しみ、女には産みの苦しみなどを与え、「命の木の実」までは、食べてはならぬとして、エデンの園から追放される。追放は「罰」というより、「命の木の実」を食べないようにする措置であった。人が神に似ることは望ましくないらしい。

 カインとアベルはアダムとエヴァの2人の息子である。2人が神に捧げものをしたとき、カインは神に無視され、アベルを妬んで殺害する。カインを無視していたはずの神はカインを追放し、エデンの東にあるノドへ送る。その後、アダムとエヴァの間に3番目の子、セトが生まれる、ノアの一族へとつながる。この物語の中で、神はカインを無視したようでいて、神は人に関心を持っている。しかも、カインは保護を約束されていた。

 バベルの塔の物語では、自分たちが方々に散ることのないよう、またその名を高めようとして、天に届くほどの高い塔を建てようとした。その傲慢を神が怒り、民の言葉を混乱させると、言葉の通じなくなった人々は工事を止め、各地へ散った。

 カナンで12部族が生活するようになった際に、「アブラハムの一族」、「ヤコブの一族」などは本来は別の一族だったが、アブラハム→イサク→ヤコブ→12部族の祖先という直系の関係を作った。出エジプトの際も、まとまりはなく、単に非エジプト人というだけだった。奴隷の集団脱走事件ともいえる出エジプトがきっかけで、ヤーヴェという髪を崇拝するユダヤ民族という集団が成立した。脱出後の荒野での生活で、ユダヤ人は一致協力し、生活していった。民は神を崇拝し、逆に神は民の出エジプトを助け、荒野での厳しい生活から民を守った。ユダヤ人はヤーヴェのみを崇拝し、神はユダヤ人のみを救うという意味で、民→神、神→民とも排他的であった。神が民を選べ、民も紙を選んだとも言える。当時の文明社会はエジプトおよび、エジプトに従う者で、ユダヤ人は文明社会と決別し、荒野のアウトローになった。

 カナンに侵入したユダヤ人は12部族連合の形で定住した。のちに、王国となり、王の強い指導力のもとで国力を強化した。ダビデ王の時代には先住民を追い出し、エルサレムを首都とした。次のソロモン王の時代には宮殿も作り、周囲との戦争にも勝ち続けた。ユダヤ人の置かれた状況は政治的・軍事的・社会的にもずっと厳しいものだだったが、出エジプト以来のユダヤ人の危機的状況を脱したことになる。この時点ではユダヤ教はまだ「普通の一神教」であったが、この後、ユダヤ教が「本格的な一神教」に変化する事件が起こる。

 ソロモン王の没後に王国は南北に分裂。南のユダ王国ダビデ、ソロモン以来のダビデ朝が続く。都はエルサレムのまま。北のイスラエル王国ダビデ王朝から離れた者たちの国で、王の正統性が不安定。首都も転々としたが、サマリアに落ち着く。国の分裂は、集団全体の一致団結が不要になったことの表れで、ヤーヴェ以外の神々の崇拝も行われるようになった。雲の神、雨の神であるバアル、豊穣の女神であるアスタルテ(イシュタル、アシュラ)など人々の生活に直接的な利益を与えてくるれる神々が崇拝された。特に北王国で多神教的な態度が生じたのは、「人が神を選ぶことができる」とされるから。「ヤーヴェだけを神とする」というヤーヴェ主義も出てきて宗教的迫害が起き、かなり多くの物が殺された。宗教的迫害を行う者は、ある特定の立場だけが正しいと考えていて、ほかの立場の者は悪だから殺すのは当然と考えている。しかし、この「迫害の論理」には大きな欠陥がある。「悪い判断をしている者たち」について、神がどのように判断しているかを失念している。「悪い判断をする者たち」が多く存在しているということは、神は彼らを滅ぼしていないということだ。それなのに滅ぼそうということは、神を否定し自分勝手な人間的判断をしてしまっていることになる。宗教的には忠実かもしれないが、神には忠実ではないのである。

 宗教は「神の権威を背景にした人集め(賛同者集め)の人間的行為」であり、宗教の行為は人間に対して効果があればよく、神の態度や立場に沿ったものであるとは限らない。「人が神を選ぶことができる」ことを前提とした「普通の一神教」では、どうしても多神教的傾向が生じてしまう。しかし、多神教的性格を強めていた北王国がアッシリアに滅ぼされたことで、「ユダヤ民族の神はヤーヴェだけ」で「人は神を選べない」という本格的な一神教になっていった。

 北王国を神が救ってくれなかったのは、神のせいではなく、人間は生まれた時点で「罪」の状態にあり、神が何もしてくれないことを正当化する論法が使われ定着した。そのため、南王国滅亡でもヤーヴェは神であり続けた。本格的な一神教は、民が罪の状態にあることが前提で、そのため何が起こっても、あるいは怒らなくても、民が神を見捨てないのである。

 本格的な一神教には神学的な問題点も多い。まず、神が沈黙している原因を「民が罪の状態にあること」としたが、本当にそうなのだろうか。神はきまぐれで、何となく民から離れたくなったから、神は休んだだけ(実際に創世記では7日目にいきなり休んでいる)、神は旅に出た、など別の原因も考えられるし、そもそも神の行動には理由がいるのだろうか。

 そして、人間が神を動かすことができるという前提が隠れている。民の側は「罪の状態」などとへりくだっているようにも見えるが、人が神に命令できるという状態にもなっている。神が人と契約を結ぶなどということがありえるのか。その契約を結んだ瞬間に、神は契約の取り決めに従うことになり、そうなっては神はもはや神ではなく、契約が神ようなものだ。神は契約の決定事項には縛られないので、ほんとうの契約ではないといえる。

 申命記的掟は「神の前で民がどのような態度をとるべきか」という観点からの決まり事である。普通の生活をしているだけではダメということが前提になっている。具体的にどうすればいいかを南王国の王の側から示している。紀元前7世紀に作られた掟を、紀元前12世紀のモーセが述べたことにしてある。

 「主を愛しなさい」とある。あなたの(ユダヤ人の)祖先を主は愛したのだから、あなたも主を愛せということだが、意味不明である。しかも「愛」とは命じられるものなのだろうか。それに、罪の状態にある民は神を愛せるのだろうか。

 預言者だからといって、深い神学的理解があるとは限らない。

 神が北王国を見捨て、南王国も滅亡に瀕しているときでも、神は民に都合良く動いてくれると考え、どんなことがあっても「神は正しい」と考えていた。否定的な状態にあっても「神とのつながりが復興する」というような希望のメッセージが聖書のあちこちに書かれている。ただし、繰り返し述べられているということは、希望はいつまでたっても希望のままで、21世紀に至っても状況が改善していないことの表れでもある。天地創造出エジプトのとき以外に神はほとんど何もしていないのである。

 その後、アケメネス朝ペルシアにバビロニアが滅ぼされることでバビロン捕囚は終わり、多くのユダヤ人がパレスチナに帰るが、バビロンにとどまったユダヤ人も多い。パレスチナ以外で生活するユダヤ人を「ディアスポラユダヤ人」という。

 ペルシアの支配下にあるとき、ペルシア政府からユダヤ人の掟を文書で提出せよとの命令が出て、律法としての五書ができあがった。法律であれば、どんなものであっても、後から変更が必要になる。律法も「新しい神の言葉」が与えられるという形で変更ができたはず。しかし、ペルシア政府に提出済みの律法があり、変更するにはペルシア政府の認可がいる。ヤーヴェはユダヤ民族だけの神であるのに、ヤーヴェはとは無関係の者の認可がいるなどとは、ユダヤ教の立場からは許容できなかった。こうして、律法は変更不可ということになり、あとは解釈の工夫で対処することととなった。アレキサンダー大王の征服でペルシアが倒れたときは変更のチャンスであったが、変更不可のままでいた。

 知恵の働きは判断に結びつく。学習によって知恵の能力を高めることもできる。古代の一般人の知恵の能力はかなり低かった。知恵の能力が比較的高かったのは、王、将軍、役人、祭司、預言者などの一部の傑出した指導者に限られていた。しかし、バビロニアなどの諸文明に触れることで、一般人の知恵のレベルが上がった。自分たちは「罪」の状態にあり、神と断絶し、救われていないという未解決問題に関心を持つ人々が出てきた。すると、自分で納得する基準を作りだし、自分は救われていると「神の前での自己正当化」を行ってしまった。人間の側にどんな変化があっても、その者が「正しい」となる余地はなく、「罪」のままなのに。これは法律用語の「罪」の比喩で語られていたためその者が「正しい」者になればよいと勝手に解釈したのである。

 人間の知恵は何が正しいかをどうしても判断してしまう。最終的な審判者は神であり、神を退けて自分が最終的審判者になったつもりである。これは信仰や敬虔の態度を貫いた人ほどそうなりがちだった。これらの「神の前での自己正当化」をいかに克服するかがペルシア期以降の課題であった。律法は完璧に理解し遵守しなければいけいないが、優秀な人々が2000年以上も思索、研究を続けても解消しない問題が山積している。律法を遵守すれば救われるとされるが、律法の完璧な遵守は不可能である。つまり救われている人などおらず、「神の前での自己正当化」も不可能である。律法は変更できないが、五書以降も文書が加わり、ますます複雑化し、遵守は不可能である。これは律法が絶対的な権威を持つ「律法主義」とも言える。人が「罪」の状態にあり、神が「動かないままである」ことが前提となっている。

 律法がきわめて複雑で、多数の問題を含んでいることは少し勉強すればわかる。どうせ完璧な遵守は不可能なので、たいていの常識的な律法理解で、社会秩序のための律法という面を重んじ、そつなく暮らす。神の問題を保留し、日々の生活を送るという、「世俗化」した社会を作る強力な装置となっていった。

 律法主義の立場になったのはキリスト教ユダヤ教から分派した影響も大きい。

 現実的な「不幸な状態」と律法主義の「罪の状態」が因果関係にあるとして結びつけて考えがちだが、人の罪の有無に関係なく神の意図である。究極的な裁きは神に属し、人の「知る」能力には限界がある。神を畏れ、神の掟を守ることは、可能な限りの最善のものでしかない。

 「神の家」とされる神殿においてだけは神と民の断絶はない。つまり民は罪の状態ではない。集会に参加している者たちは「正しい」者である。神殿は聖書や律法が成立するよりもずっと昔から存在していた制度で、聖書や律法とは異なる立場にある。律法の中には、神殿について賛成、反対の両方の立場が示されている。

 ユダヤ人のアイデンティティーは「本格的な一神教」の枠組みとの関連のみで決まる。他の神を自分の神としていた人がいたらユダヤ人ではなくなる。王国のような枠組みがあると、その人もユダヤ人であり続けて、多神教的な傾向が生じてしまうが、ユダヤの国と言う政治上の枠組みがないので、簡単に排除された。逆に非ユダヤ人がユダ人になることもありプロリゼット(改宗者)と呼ばれる。ディアスポラユダヤ人共同体は各地に存在し、小数派ではあるが、かなり勢力のある少数派だった。これはユダヤ教の集会所(シナゴーグ)の活動が大きい。週1回、土曜の安息日に行われる活動が中心で、「ラビ」と呼ばれる先生が聖書の解説のような話をする。祈り、賛美歌、共同の食事もあった。食事は親睦活動でもあるが、福祉活動にもなっていた。

 ユダヤ人は聖書を中心とするシナゴーグ活動のおかげで、広範囲に散らばっても、聖書についての知識を共有した。他の中小の多くの民族は、広範囲の帝国支配下では時代を経るにつれて消えてしまうのが普通だった。

 ユダヤ人が屈辱的状態にあり、非ユダヤ人が政治的優位にあっても、それは神の奥深い意図だ。世界の支配者である神について、民が民族的に考えるなら、非ユダヤ人は神の道具のようなものである。

 ヨナ記には普遍主義的なことが書かれている。北王国を滅ぼしたアッシリアの都ニネヴェを神が滅ぼすことにした。神はヨナにこの計画をニネヴェに伝えるよう命じたが、ヨナは拒否して逃げた。しかし逃げ切れずに、結局ニネヴェに伝えると人々は態度を改め、神は計画を撤回した。人間の行為が神を動かせ、神の言葉は変更されうるということになる。ニネヴェは民にとっては敵だが、神が作り、神の祝福の対象でもある。神の態度が普遍主義的であるということだ。

 ルツ記にも普遍主義的なことが書かれており、非ユダヤ人であるモアブ人のルツのひ孫がダビデであり、混血であっても王になれる。

 エステル記には時代小説的な物語が書かれてあり、民族主義的な内容になっている。ユダヤ人は敗者にはならないことを主張している。

 紀元前3世紀から2世紀になると「黙示思想」の立場が目立つようになる。神が「全人類の神」、「全世界の神」としての認識で、ダニエル書に代表される黙示文学で表現されている。この世は神によって創造されたが、「悪」の状態にあり、神がこの世を滅ぼし、来るべき善の世を創る。その未来の様子を神が示したので、「幻視者(seer)」が報告するという体裁になっている。一部の者だけが救われるという可能性を希望に託し、「終末」の早期実現を待つ。第四エズラ書のように聖書には採用されなかった話もあり、ヨハネ黙示録やペテロ黙示録のようにキリスト教新約聖書に採用されたのもある。

 人間側の努力は何の意味もなく、神は一方的に動く。人間が何かをすれば救われるというのは、人間が神に命令する行為である。

 人は「罪」の状態にあり、救われていない。律法を完璧に守れば救われるが、それは不可能。律法によらず、人の努力によって神を動かすのも無理。神の前での自己正当化も無理。終末はいつまでもやってこない。人間の側は八方ふさがりであり、神が動くのを待つしかない。それが希望である。

 私たちの私たち自身や世界との関わりは、概念、論理というアプローチと物語的アプローチの2つがある。概念、論理のアプローチは便利だが、生きたものではない。道具は使わなければ意味がない。私たちの人生は物語である。自分ではない登場人物が活動する物語を読んで生きている。物語的アプローチこそが生きることであり、魅力がある。