きまぶろ

本とアニメと気ままな生活のブログ

日経サイエンス 2018年2月号 AIの新潮流

今号で気になった記事は2つ。

・こどもの脳にまなぶAI (Making AI more Human)

 学習には主に2つのアプローチがある。ボトムアップ方式は知識のない状態から大量の情報をもとに特徴を抽出する方法で、AIではディープラーニングなどの機械学習にあたる。トップダウン方式は既知のわずかなの知識から仮説をたて予測し修正する方式で、AIではベイズ法などにあたる。AIではいずれも比較的狭く、明確に定義された問題しか扱えないが、子供はこれらを組み合わせ、新しい概念を引き出し、独創的な推論を行う。

 囲碁のイ・セドル九段に勝ったAlphaGoに対し、人間の知識を利用しないAlphaGoZeroは100連勝した。しかし、厳密には人間の知識も利用しているし、Googleの論文では重要な数値が意図的に省かれており、人間の知識を利用しないソフトの方が強いという誤解を与えてしまった。

 AIはブラックボックス化し、一部では「黒魔術」などと呼ばれるが、ホワイトボックス化へもトヨタ富士通NECなどの企業が取り組んでいる。AIの進歩が人に強い感情を引き起こすのは、人間に極めて近い存在に対する私たちの根深い恐怖心のためだろう。最も恐ろしいのはAIに対する無知である。

 

・科学否定の根底にあるもの(The Roots of Science Denial)

 ガリレオのときもダーウィンのときもそうだったが、反知性主義は科学自体と無関係の要因によるので、科学の正しさをいくら説いても無駄である。

 人々が科学に対して抱く疑問は、科学を問題にしているのではなく、自分たちの世界観やイデオロギーに対して科学が持つ意味を問題にしているのだ。科学界から新たに出た結果が、権力を持つ人たちの現状や前途を危うくするものであるときに、科学否定が始まる。これは変化に対する必死の抵抗の表れでもある。聞く耳を持たない人々と建設的な会話をする方法は、彼らの問題意識と同じ土俵に立つことだ。

 考えもせず、疑いもせずに自分が所属する集団の心情を支持することはトライバリズム(trivalism)とも呼ばれる。政治的に二極化した片方の集団に属するというだけでも拒絶する。

 科学を拒否するのは知識の欠如によるという考え方は「欠如モデル」と呼ばれ、全員が政治的に中立でない限り機能しない。みんなが科学の土俵に立ってくれれば、知識を共有することで話は簡単なのだが、歴史を振り返ってみると不可能に思える。人々が何に価値を求め、どこに由来し、何を愛し、何を恐れ、何に意欲を感じるかから始めるとよい。特定の立場に立つ人にはかかわらないようにする。

 

 新刊紹介では「名画の中の植物(大場秀章)」が面白そうなので、そのうちチェック予定。